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6月8日 Billboard Live TOKYO

敬愛するGotch氏のソロライブに行った。
六本木のビルボード、私にとってはとてつもなくオトナなオサレ空間である。

しかし狭いハコにぎゅうぎゅうのもみくちゃスタンディングライブに、
そろそろしんどい気持ちが出てきていた自分には、
もはやこういった場の方が合っているのではなかろうか。
だってもう37だもの。十二分にいい大人でっせ。

本音を言えば、娘を託児所に預けて主人と二人でデート気分で出かけたかったが、
以前アジカンのライブでそれを試みたところ、
ライブの途中で娘が発熱、あえなく途中退場してお迎えという事態になった。
今回は絶対に中座したくない私たちは、
2日間ある公演に別々に行くことにしたのである。

そんなわけで、初めてのビルボードにお一人様で乗り込んだ私。
この場に浮いていないだろうかと妙な緊張感が湧き上がる中、
精一杯の平静を装いつつ、
カウンター席で一杯やりながら、Gotch & The Good New Timesのライブを楽しんだ。

結論から言えば、まことに素晴らしいライブであった。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドに出会い、後藤氏の歌を聞き続けて、
もう10年ほどになるかと思うが、
こんなにも活き活きと楽しそうな氏を、私は初めて目にした気がする。
・・・などと言ってはアジカンに失礼かもしれないが。
バンドの時はフロントマンとして否が応でも背負っている、何か重くて大きなものを、
ソロの時はすべて投げ出して、本能のままに、思うがままに、演奏しているように見える。
その様が、見ていて実に気持ちいいのだ。

もちろん、しっかりとした音楽的技術や高い完成度が土台にあればこそのものだけど、
どんな曲をどう演奏するかというのはもはや二の次で、
ただ、音が始まり、彼らが踊りだすだけで
(実際には演奏しているのだけど、イメージとしては全員が好きなようにダンスをしているように感じられた)、
その楽しげな空気がびしびしと伝わってくる。

音は私を包み込み、頭の中を極彩色の絵の具でぐちゃぐちゃにかき回して、
最後にはキャンバスごと、どこかへぽーんと投げ捨ててしまう。
気付けば私は雲の上にいて、体なんてないみたいに、自由に飛び回っている。

何にも考えられない。ただ喜びだけがそこにある。
歌うことの喜び。奏でることの喜び。
音と絡まり踊ることの喜び。

そういう感じ。

こんなライブをするようになったのだな。
どんどん進化していくのだな。
飽きっぽい私が、こんなにも長く特定のアーティストを追いかけ続けていられるのは、
彼が常に進化し続けているからだ。
そして、それでもなお変わらないものがあるからだ。
Gotch氏の声が私は本当に大好きで、ずっと聞いていたいと思うほどだ。
いや、実際ずっと横でしゃべり続けられたら、いい加減黙ってくれと言ってしまうだろうが。

この夜の氏の演奏から、何かとても大切なものを受け取った気がしている。
それが何なのか、言葉にはできないし、今はまだしない方がいいように感じられる。

いつもの位置に飾られているチベットの旗を見つめながら、
しばし時空を彷徨う夜であった。
ぜひまたこういう場で演奏してほしい。

以上、選ばれし民の感想。


8th June
Gotch & The Good New Times at Billboard Live TOKYO

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5月14日 渋谷クラシックス

友人のライブを見に行った。

彼が歌うのは過去に一度聞いたことがあるが、きちんとしたステージは初めてだった。

私はライブに行くと必ず、歌いたくてうずうずしてくる。
自分が目の前のステージに立って、マイクを握りしめる場面を想像してしまう。
いつの頃からか、そんな癖ができてしまって、
ライブのDVDを見るときも、アーティストが演奏している映像よりもステージから見た観客席の風景の方に夢中になる。

この場に自分が立っていたら、どんなにか楽しくて気持ちがいいことだろう、と思うのだ。

残念ながら私にはまだ、巨大な会場にぎゅうぎゅう詰めになった観客の前で歌った経験などないのだけれど、
これだけ何度も夢想していたら、そのうち本当に叶うんじゃないかという気がしてくる。

この日の彼のステージは、こぢんまりとした空間に程よい数の観客がいて、
ドリンクを片手にのんびりと演奏を聴くことができた。

ところでこのライブの最中、私は重大なことに気がついてしまった。
「自分は人の歌をあまり聴いていない」ということだ。
びっくり。

演奏が始まると、私の心はどんどん広がり始め、世界を旅し始める。
過去の意外な出来事が蘇ったり、未来に思いを馳せたり、
さまざまな感情が次々と走馬灯のように現れては消えたりと、
まことに忙しい。
そして気がつくと、歌は終わってしまっているのだ。

歌に、音に、いくら集中しようとがんばってもダメで、
気付くと私の心はふわふわと、どこか遠くへ行ってしまう。

これが私の音楽との関わり方なのだろうな、と思った。
私は音そのものを聴いているのではない。
音の持つエネルギーを全身で感じているのだ。
そして、私の心のブラックホールにある膨大な思いの中から、
特定の音に反応した特定の何かが、ひょこっと飛び出してくる。

もちろんこれは私だけの超個人的な体験であり、
同じ場で同じ音楽を聴いたところで、他人には決して、私と同じように聴くことはできない。
そのようなことが、ライブ会場にいる全ての人間の中でそれぞれに起こっていると思うと、
この世界のパラレルっぷりに気が遠くなりそうになる。

私がこの日の彼から感じたものは「愛」だった。
彼の背後に、巨大な赤字の明朝体で「愛」という文字がどどーんと浮かび上がってきたような気がした。
ド直球の、ストレートな愛だった。
とても心地よく、満ち足りた気持ち。
まるでフランス料理のフルコースを堪能したかのような気分で、私は家路に着いた。

いい夜だった。

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